国内初の塔建築の曳家工事に挑む
高野山の光台院にて400年前に建立された多宝塔。小ぶりながらも屋根の垂木が扇垂木となるなど、非常に凝った造りになっています。大正期に財閥藤田伝三郎により、大阪の地(現在の藤田美術館敷地内)に移されました。大成建設様の設計施工により藤田美術館建て替えが行われましたが、美術館が以前より大きくなるに伴って13mの曳家と修理が必要となり、匠弘堂がその大きな任務を遂行いたしました。日本国内では塔建築の曳家は初めてとのことです。上下の屋根をしっかり固定して剛性を高めたこと、現場でのチームワーク、事前に十分なシュミレーションをしたことにより、無事に一大事業を成し遂げました。
有馬棟梁コメント
平屋の建物と比べ不安定な塔建築の曳家ということもあり、長い付き合いの中で高い技術を持っている鳶業者さんとタッグを組んで作業に挑みました。ジャッキで上げ下げする際が一番気を遣うところで、なるべく水平を保ちながら慎重に行いました。13m先の目標地点まで無事に曳家を完了させた時には、今まで感じたことのない安堵感を覚えました。