匠弘堂・代表取締役社長の横川 総一郎が、社寺建築の仕事やその魅力について思いの丈を語るコラム連載。第2回は、匠弘堂を創業した当時、お世話になった方々からいただいた「言葉」について綴ります。
プロフィール
横川 総一郎
匠弘堂代表取締役社長、設計、営業、経理担当。昭和39年京都生まれ。大学では機械工学を専攻、家電メーカーを経て建築設計の業界へ飛び込む。現場にて岡本棟梁らと出会い、感銘を受け、岡本棟梁に入門。 のちに3名で「匠弘堂」起業。松下幸之助氏の「志あればかならず開ける」が信条。 趣味は楽器演奏、ドライブ。辰年、O型。
お施主さんたちの顔を思い浮かべて仕事をしなさい
広島に、ご兄弟で経営されている永本建設という住宅専門の建築会社があります。
永本さんご兄弟は、私たちの師匠であり匠弘堂の先代の棟梁でもある岡本さんと古くから一緒にお仕事をされていた人たち。いわば、私たちにとっては「兄弟子」のような存在です。
匠弘堂を創業する前、私が当時勤めていた会社に、広島県にある速谷神社さまから社務所を新築したいというお話がありました。本殿を建て替えた時と同じ大工さんで、という有難い案件です。人手が足りないということで元請の建設会社さんを通じて永本建設さんにヘルプをお願いしたんです。これが岡本棟梁と10年ぶりの再会だったようです。私自身は永本建設のおふたりとはその時に初対面でしたが、建築業界の方とは思えないほど紳士的な様子が印象的でした。
社務所新築工事中に何度か現場でお会いしていくうちに、「この方たち凄い」と思うようになり、将来の在り方について相談にのっていただきました。独立経営されている建築会社の先輩ということもあって、「会社を創るとはどういうことか」を直接お聞きしたいと思ったんです。
そのときに教えてもらったことは、いまの匠弘堂の経営にも脈々と受け継がれています。「最初は下請け仕事から始まるだろうが、絶対に腐らないこと。常に最終のお施主さんたちの顔を思い浮かべて仕事をしていれば、きっと誰かが見てくれている」。
おふたりの言葉を信じて会社を立ち上げてからもう18年。この言葉を忘れたことは、一度たりともありません。
「社寺建築の主役は、大工」
永本さんに教えてもらった大切なことがもうひとつあります。それが、「宮大工の会社なのだから主役は大工。それと、岡本棟梁の後継者となる有馬君とのコンビをプロデュ―スしなさい」という言葉です。
匠弘堂を創業したばかりの頃から、この言葉は特に強く意識していました。私は社長という立場ではありますが、匠弘堂の主役はあくまで“宮大工”。
新しい会社でありながらも、素晴らしい技術を持った職人(岡本棟梁のような)がいて、その技術を受け継ぐ若い職人もいるということを発信するのに努めてきました。手前味噌ですが、いまの匠弘堂のホームページを見ていただいても、その思いは伝わるんじゃないかと思います。
2011年に、匠弘堂創業10周年の記念誌を作ったときも同じです。とにかく、棟梁・大工の顔が見えるように、ということを心がけました。60ページの冊子のうち私が話すパートは6ページで、残りの54ページは岡本棟梁をはじめ、匠弘堂の宮大工を知ってもらうことに腐心しました。
永本建設さんは、いまでは広島を代表する素晴らしい建築会社です。
社寺がメインではないものの、エンドユーザ―のことはもちろんですが、植林活動を手がけられたりするなど地球の自然環境全てにやさしい循環社会を目指す取組みを会社ぐるみでされていて、私たちにとって心から尊敬するお手本にしたい存在です。
「会社を、世の中を、舐めるな」
それからもうひとり、忘れられない言葉をくださった人がいます。東証一部上場の建設会社の工事責任者であった、江頭さんという方です。
江頭さんとの出会いも、匠弘堂を創業するよりずっと前に遡ります。江頭さんも、先代の岡本棟梁と付き合いが長く、棟梁と強い信頼関係で結ばれている方でした。
私がまだ前の会社にいた頃、奈良県の川上神社さまの新築工事があり、現場の担当者として何度も足を運んでいました。
仕事を終えたある夜、有馬くん(匠弘堂の現棟梁)と江頭さんと私、3人で飲む機会があって。当時の会社に不満があったものだから、お酒の席でつい愚痴をこぼし、「僕と有馬くんがふたりで会社をやりたい」と江頭さんに言ったんです。いまから思うと、おごりもありました。
それを聞いた江頭さんは、みるみる目じりが上がり、普段の穏やかな姿からは想像もできないくらい僕らを叱りました。「お前ら、世の中舐めてるのか!正座しろ」と。夜の0時から3時くらいまで。一気に酔いが覚めたのを今でもよく覚えています。。
江頭さんに言われたのが、「ビジョンはあるのか?」という言葉。当然ですが、その頃の自分たちには「ビジョン?」なんのことだかわかるはずもありません。。
「ビジョンのない人間が創った会社にうちが仕事を渡すと思うか、バカモノ!」と。その時からです。頭の中で四六時中「ビジョン、ビジョン」という文字がぐるぐる回ったのは。。
その日は猛烈に叱られたものの、江頭さんとの関係はそこでは終わりませんでした。なにせ、当時勤めていた会社が倒産したとき、一番支えてくれたのは江頭さんだったんです。
「岡本棟梁を中心としたいまのチームは本当に素晴らしい。このチームをバラバラにしてはいけない」ということを、江頭さんは周囲に何度も強く説いてくれました。
その後も、創業したばかりの匠弘堂にありとあらゆる場面で相談にのっていただき、仕事をいただき、言葉に出すのもおこがましいくらい、匠弘堂にとっては正に「命の恩人」です。。
「図面を描いてばかりいたらだめだよ」
江頭さんからもらった忘れられない言葉が、もうひとつあります。新築計画の本堂の原寸図を一生懸命描いていた頃のことです。
「君、図面を描いてばかりいたらだめだよ」
と、岡本棟梁に弟子入りしたての確か33歳の私に突然声をかけてくださったんです。もしかすると、当時から江頭さんは、いまの匠弘堂の姿を想像されていたのかもしれません。
私がその言葉の意味を本当に理解したのは、匠弘堂を創業する直前、江頭さんと久々にお酒を飲んだ日のことでした。お酒の席で江頭さんに、「いよいよ図面を描いていられなくなったね?」と言われたんです。
「図面ばかり描いていてはいけない」。
私の中で数年前に初めて声がけしていただいた時の言葉が蘇って、今までの自分と別れる日が来たことを実感しました。
自分は設計士ではなく、経営者にならなければいけない。
宮大工たちをとりまとめて、大切な社員の生活を守らなければいけない。
そう気づいてから自分の決心をゆるぎないことを示すために、まず頭を丸めました。そして私自身の時間の使い方や社員との接し方も、大きく変化していったように思います。
いつも私たちをあたたかく、時に厳しく見守ってくれた江頭さんは、自分にとって忘れられない本当に大切な方です。その後は副支店長などを歴任されて現在は引退されていますが、匠弘堂のいまに繋がる大切な言葉をくださった恩人です。
いま思えば、永本さんたちや江頭さんがかけてくださった言葉が、匠弘堂を創業したばかりで右も左も分からなかった頃の自分を、初めて「経営者/社長」にしてくれたような気がします。