匠弘堂の設計技術者として、日々さまざまな社寺建築の設計を手がけている横川社長と宇塚。ふたりの出会いや印象的だった仕事、匠弘堂の設計士に求めること──などをテーマに、初めてじっくりと語り合いました。
機械工学の研究、家電メーカーでの勤務を経て建築の業界に飛び込んだ社長と、幼少時から建築が大好きだったという若手社員。好対照なふたりは、どのように刺激を受け合いながら仕事に向き合っているのでしょうか。
【プロフィール】
横川 総一郎(写真左)
匠弘堂代表取締役社長、設計、営業、経理担当。1964年京都生まれ。 大学では機械工学を専攻、家電メーカーを経て建築設計の業界へ飛び込む。現場にて岡本棟梁らと出会い、感銘を受け、岡本棟梁に入門。のちに3人で「匠弘堂」起業。松下幸之助氏の「志あればかならず開ける」が信条。 趣味は楽器演奏、ドライブ。
宇塚 崇志(写真右)
匠弘堂の設計担当、一級建築士。1990年愛知県豊田市生まれ。高専から大学・大学院に進学し、建築を専攻。2014年に商業建築の会社で設計士としてのキャリアをスタートし、2016年に匠弘堂の門を叩く。趣味はクラシック音楽鑑賞、フルート演奏、カメラ。
京都から名古屋まで、横川社長がすぐに会いに来てくれた
宇塚:初めて横川社長とお会いしたのは2年前、名古屋駅のコーヒーショップでしたね。当時僕は商業建築の会社で設計士として働いていて。社寺建築の世界に憧れて匠弘堂の採用に応募したんですが、社長がすぐに京都から名古屋まで会いに来てくれて……正直驚きました。
横川:応募情報を見てピンときたんだよね。まだ若い上に、高専時代から大学院、社会人になるまで一貫して建築の道を歩んできているというのを見て、建築が本当に好きなんやろうな、と。経歴を見た瞬間に、「この人しかいない!」と思ったからすぐに会いに行った。あのときは、ぜひ会社を見てほしい、すぐにでも京都に来てほしいというエネルギーが全開だったから、びっくりさせたかもしれないね(笑)。
宇塚:たしかに、新卒で入った会社は普通にメールでやりとりをして、面接をして……と極めて事務的に選考が進んだので、全然違うなと思ってびっくりはしました(笑)。でも、横川社長のエネルギーや、「ぜひ匠弘堂に」という言葉は素直にとても嬉しかったです。だから僕も、初めてお会いしてから2週間というスピードで、京都の家を決めて引っ越ししたんです。
横川:あのときは本当に急で大変だったと思うけど、すぐ匠弘堂に決めて転職してくれて、ありがたかったな。
設計士と宮大工との“阿吽の呼吸”でベストな仕事を
横川:宇塚の初めての仕事は、京都市内の寺院さんの増改築工事だったね。
宇塚:そうですね。商業建築の世界から社寺建築の世界に移って最初の仕事だったので、大変だなと思うことも多かったです。いちばん苦戦したのは、玄関の「納まり」でした。古い建物と新しい建物のあいだに玄関がを作るというプランで、露出する柱がふたつの建物にまたがって、かつその柱が床下まで伸びる構造で、、、言葉では伝わりにくいですけど、とにかく難しい案件でしたね。
横川:でも、僕が描いたスケッチを渡したら、スッと理解して図面化してくれたやろ。あれは驚いたなあ。
宇塚:前職は新築の案件ばかりだったので、古い建物を図面化するというのは初めてのことだったんですが、やっぱり新築と違って難しいなと実感しました。いざ工事が終了して、完成した建物を見たときは、「あの図面が本当にこんな形になるんだ」ということに驚きましたね。宮大工ってすごいな、と。
横川:すべてのディティールを図面化するということは不可能だから、最後は宮大工の現場での判断にかかっているんだよね。設計士と宮大工との阿吽の呼吸があるからこそ、現場の判断でその時どきのベストな形が選べる。そこは設計と施工の協力体制というか、匠弘堂のチームワークがあってこそ実現する部分だと思う。
古書を読み漁って勉強する宇塚の姿勢に驚いた
横川:宇塚が入ってきてくれた当初は、前の会社での仕事のやり方とか癖があるかな? と少し心配もしてたんだけど、そういうのは一切なかったね。
宇塚:最初は正直、初めての転職だったので不安はありました。前の会社での設計作業は「見積もり用の図面」を書くというもので、設計が終わってから施工が始まるまでに時間がありました。でも、匠弘堂では書いた図面がすぐに現場に渡る。宮大工さんが見て「よし、これでやろう!」と即答してくれる図面を最初から出さないといけないので、そこは緊張しましたし、いまでも緊張します(笑)。
横川:でも、宇塚はとにかく飲み込みが早いし素直だから、すぐに成長したよね。
特にそれを感じたのは、文化財や建築にまつわる古書を求めて、一緒に東京の神保町に行ったとき。社寺建築関係の本は他の業界と比べて圧倒的に少ないんだけど、とにかく神保町って貴重な本が手に入る場所なので、ここぞとばかりにふたりですごい量の本を買って。そこからが宇塚の凄いところで、仕事の合間とか休み時間に集めた本をずっと読んでくれてるんだよなぁ。しかもそれが、みるみる実際の仕事に活きてきたのには本当に驚いた。
そのあとにあった因島の大山神社さんの稲荷社拝殿の新築設計では、正式に受注するときに宇塚に図面の再設計をしてもらって。計画段階よりもずっと素晴らしくいい図面があがってきたから、感心したな。
宇塚:大山神社さんの工事が、匠弘堂にきて僕が初めて描いた新築図面でしたね。あれは自分でも、手応えを感じることができました。
横川:宇塚が入社してからは、建築に関する知識が浅いお客様に対しても、わかりやすい図面や伝わりやすい資料が作れる体制ができたんだよね。つい最近も、お客様に対して50ページにわたるプレゼン資料を作って「問題の原因は何か?」「匠弘堂はそれをどのようなアプローチで解決しようとしているのか?」というのをご理解いただけるように説明したことがあったけど、こういうやり方は宮大工を抱えている比較的小さな建築会社では、とても珍しいことだと思う。
僕としても宇塚から受ける刺激が大きいから、これまでのやり方だけにとらわれずに、よりよい仕事のやり方をチームとして追求できているって気がするなあ。
対照的なふたりだからこそ、いい設計、いい仕事ができる
横川:ところで、宇塚は社寺建築のどういう部分に魅力を感じる?
宇塚:そうですね……僕が社寺建築に特に魅かれるのって、美しさや意匠といった部分が突出しているからかもしれません。
たとえば京都の平等院鳳凰堂でいうと、阿弥陀如来を祀る中堂以外の翼廊や尾廊って特に用途のない部分で、現代の感覚で言えば“無駄”な箇所ですよね。それに、強度や雨に対する耐性は二の次と思わせるような深い軒や、緩い屋根の勾配なんかもすごく特徴的で。耐久性や使い勝手ありきではなく、「理想の形を実現したい」という強い衝動から逆算でデザインされているように見えるのが、美しいなと思いますね。
横川:宇塚のそういう感性は、設計の仕事にとってすごく大切なものだと思うよ。
僕は匠弘堂の設計技術者として、「作れないものは図面化しない」というのをポリシーにしてる。図面が絵に描いた餅になってしまってはいけないから、使い勝手の良さなどの“機能”、耐久性の高さなどの“構造”、そして宇塚の言う、美しさや荘厳さといった“意匠”の3つをきちんと満たすこと。そのうえで、現実的に作れるものだけを設計する、ということにこだわってる。
難しい依頼がきたとしても、考えて考えて考え抜いて、実現可能なラインまで図面を練り上げる、ということを意識してる。
宇塚:そういった考え方は、機械設計を学ばれていた横川社長らしいな、と思います。
横川:そうだね。僕は大学で機械工学を専攻していたけど、宇塚は根っからの建築の世界の出身で、いい意味で対照的な部分も多いと思う。でも、だからこそお互いに刺激しあって、いい設計、いい仕事ができているんだろうなと日々感じるよ。
「設計技術者だから」「宮大工だから」ではなく、チーム全員で臨む
横川:設計のスキルにかけては、宇塚は現時点でもとてもいいものを持っているよね。設計図面も施工図面も、原寸図も書けるし、彫刻のデザインもできる。僕としてはとにかく、いまのまま頑張ってほしいと思ってる。あとは、材料の選定や木拾い(※建築物に必要な木材の量を拾い出すこと)の技術が身につけば、もっと世界が広がるだろうな。
宇塚:いまの匠弘堂では、有馬棟梁と横川社長のおふたりにしかできない仕事ですよね。
横川:そうだね。このふたつはとにかく難しいし、ここまで一気通貫でできる設計技術者は、日本でもほとんどいないと思うけど、だからこそチャレンジしてほしい。
僕は、最初に入社した家電メーカーで「次の人がバトンを受け取りやすいような仕事をしろ」ということを教えられたんだよね。つまり、自分の工程だけがよければいいわけではなくて、チーム全体でのトータルクオリティコントロールが仕事にはなにより大切という考え方。「設計技術者だから」「宮大工だから」ではなくて、全員で臨む姿勢を匠弘堂の社員には求めてる。一緒に走っていくから、これからも頑張ろう。
宇塚:はい! これからもよろしくお願いします!