2019年2月23日 – 24日、匠弘堂はDesign Week Kyotoのオープンファクトリーに参加しました。Design Week Kyotoは、一般の方々にものづくりの現場の門戸を開き、そのプロセスや臨場感を体験できる貴重な機会として、京都では2016年から開催されていますが、匠弘堂は、今回初めて参加いたしました。
なかなか一般の方に働く姿をお見せする機会のない宮大工にとって、仕事の断片をお見せできる、またとない機会です。今回は、前半と後半と分けて、前半は弊社の会議室にて「社寺建築入門:脈々と受け継がれる木の文化」と題してレクチャーを、後半は、宮大工のお仕事の見学と、ワークショップを行いました。
本記事では、前半に行われた「社寺建築入門」のレクチャーをダイジェストでお伝えしたいと思います!
ちなみに、みなさんにいつか弊社を工房見学していただくときには、また違う内容でレクチャーをいたしますので、ネタバレはご心配無用ですよ。社寺建築は、それだけ奥が深いですから、お話しすべきことはいっぱいあります。
1300年以上継承される社寺建築と宮大工の仕事
それでは、少しずつ社寺建築について学んでいきましょう。まずは、この絵を見てみてください。
これは鎌倉時代後期の絵巻物からお借りしてきたものですが、大工さんがたくさん描かれていますね。
今と同じ?それとも違う?-鎌倉時代の大工道具
ここで注目していただきたいのが、道具です。
左下の方の二人の職人さんが手にしているのが、「手斧(ちょうな)」という道具です。木の柄の先端が曲がっていて、その先に刃物が付いていますね。これは木の厚みを調整するための道具で、匠弘堂の工房でも現役で使われています。
それから、この上の方の人は、長い棒の先端に槍のようなものが付いている道具を持っていますね。これは「槍鉋(やりがんな)」と言われるものを使っています。
「鉋(かんな)」と言ったら、通常みなさんは、四角形の木製の台でできた「台鉋(だいがんな)」をイメージするかと思います。
この種類の鉋は室町時代に発明されました。ですので、台鉋が絵の中になければ、これはそれ以前、つまり鎌倉時代以前の絵だということがわかるのです。
この絵の真ん中では幅のある材木の真ん中に楔(くさび)を入れて、二つに割ろうとしていますね。今だったら大きな電動ノコギリがあるので一瞬で終わる作業です。昔は全てが手仕事で行われていて、「調材(原木の丸太から角の材料を仕上げる)」の作業は本当に大変だったと思います。
宮大工の技術の革新期(室町時代)から停滞期(江戸時代)
室町時代にはいろいろな技術革新が起こったのですが、大工道具も同様に、一気に進化しました。
この時代には、戦国大名たちが国取合戦を繰り返しましたが、その中で、短い時間に陣地を張り、建物も建てなければなりませんでした。槍鉋だと時間がかかりすぎていた、表面を整える作業も、台鉋だと一気に削れます。
ところが、江戸時代、泰平の時がやってくると、庶民の経済が活発になり、モノや技術が広範囲に流通するようになるにつれて、逆に大工の技術は低下していったと言われています。
色々な理由があると思いますが、例えば、紙が流通したことも大きく関係していると思います。
紙が大量に生産されるようになり、印刷技術が発展すると、大工さんの仕事も、本に記されて流通するようになったのです。そうすることで、庶民が簡単にいろいろな知識を学べるようになりましたが、一方で表面上の知識や技術の流通に留まってしまい、切羽詰まった必要性に駆られた技術の革新には繋がりにくくなりました。
京都は、応仁の乱(1467 – 1477 : 室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大した)による混乱が10年以上続き、洛中は焼き尽くされてしまいました。現在洛中にある神社仏閣の多くは、徳川家が建て直してくれたものなのです。
応仁の乱より前の建物は、実は滋賀県のほうがたくさん残っているのです。「湖東三山」と呼ばれる、西明寺、金剛輪寺、百済寺など、素晴らしいお寺がたくさんあるんですよ。ご存知でしたか?
宮大工の技術:継手と仕口
現代にも受け継がれている宮大工の技術のなかで、特徴的なものを少しご紹介しましょう。
まず、「継手(つぎて)」。継手とは、木材と木材を直線方向に継ぐ方法。一方で「仕口(しぐち)」は、木材と木材を垂直方向に継ぐ方法です。
一例として「金輪継ぎ」のサンプルをお見せしましょう。すぐれた強度で、簡単にバラすことができる、史上最強の継手です。写真はサンプルなので栓(せん)が飛び出た状態のまま抜きやすくしていますが、本当は木材の幅に合わせて切ってしまいます。
パズルみたいですね!
レクチャー当日は、「金輪継ぎ」のほかに「隅切りいすか継ぎ」など、3種類ほどの継手のサンプルをお手に取っていただいて、バラしては組んでと遊んでいただきました!
社寺建築の様式:社寺建築の中には生き物がいっぱい!?
それから、社寺建築はその「様式」も特徴的です。みなさん、社寺建築の中には「生き物」がいっぱい潜んでいるのをご存知ですか?
社寺建築の部材の名称には、魚、蟹、亀、蛇、燕、鴨、蛙、海老など、こんなにたくさんの生き物が潜んでいます。
鴨居(かもい)は、日本建築にはよくありますので、皆さんもよく耳にするかもしれませんね。
例えば匠弘堂が2012年に作った西宮の西安寺本堂。ここにも、「蟇股(かえるまた)」「飛燕垂木(ひえんだるき)」「海老虹梁(えびこうりょう)」それから「鴨居」と、生き物が潜んでいるんです!
せっかくだから、国宝の建物の中でも生き物を探してみましょう。
国宝・長弓寺のカエルを探せ!
鎌倉時代に建てられた奈良県生駒市の長弓寺(1297年)を見てみましょう。この時代の建物はとても美しくて、僕は大好きなんです。ここの屋根がダイナミックで美しいのです!僕はここに行くと、3、4時間見惚れて動けなくなってしまうんです。だから家族とは一緒に行けません(笑)
ここにも生き物がいます。漢字ばっかりで難しそうですが、赤線の引いてあるところだけに注目してください。動物がいますね〜。
今回は、この蟇股に注目したいと思います。
蟇股(かえるまた)は、蟇(がま)が座っている格好をしているから蟇股と呼ばれます。そのままですね!股の間のところは、模様が入っていたり、透かしになっていたり、よく見ると色々あるんです。
わかってくると、ウキウキしてきますね。これからは、どこに行っても蟇股が気になってきますよね?
長弓寺のような鎌倉時代の建物は、構造物としての機能を保ちながら美を施していて、どちらかというと機能美が重要視される傾向がありました。江戸時代になってくると、彫刻作品のような、装飾的な美しさが競われるようになるんです。
国宝の蟇股をコピーしちゃおう
レクチャー当日は、ワークショップとして、今ご紹介した国宝・長弓寺の蟇股の図案をみなさんにフリーハンドでなぞっていただきました。
我々も、CAD(コンピュータで図案が簡単に作成できるソフトウェア)でしか描けなくなってしまったら本当の技術が継承できなくなってしまうので、もちろんCADを使うこともありますが、最終的には手でちゃんと写し取るんですよ。
ワークショップのあとは、みなさんに宮大工たちの仕事を見学いただき、鉋掛けなどの宮大工のお仕事も実際に体験していただきました。
……匠弘堂の「社寺建築入門」ダイジェスト、お楽しみいただけたでしょうか? この記事を読んで実際の工房見学に興味を持ってくださった方がいらっしゃったら、なにより嬉しいです。匠弘堂の工房で、みなさんをお待ちしています!