- 1955年
- 中学卒業後に父の知り合いの紹介で大工を始める
- 1989年
- 平成に入って初めて社寺建築に携わる。岡本棟梁との出会い。
- 2001年
- 匠弘堂創業時に入社
北村 義信
プロフィール
1941年生まれ、京都市出身、O型、動物占いはチータ。
特技・趣味
グルメツアー/当社の料理長
匠弘堂の中で1番の大ベテラン、大工歴64年の北村。
これまでの豊富な経験を振り返りながら、匠弘堂の未来、そしてこれから社寺建築に携わる若者に向けての想いを綴ります。
偶然進んだ大工の道、不思議な出会いから匠弘堂へ
ワシが大工の道に進んだんは中学卒業してからやった(昭和30年頃)。
親父の仕事の知り合いに紹介されて、型枠大工から始めたんがきっかけや。
あん頃、就職したら6千円位が相場やったんやけど、1万円もらえて給料は良かったなあ(当時の1万円は、今の時代でいうと60,000円ぐらい)。
15の頃から大工を始めたからもうすぐ80歳や、気ィついたらあっという間に大工歴64年になってしもたわ。
そこからいくつか建設会社を渡り歩いて、平成に入ってから初めて福岡で社寺建築に携わったかなあ。あん時、宮大工の持つ技術に圧倒されたのを今でも覚えてるわ。
亡くなった宮大工棟梁 岡本弘さんともその頃に初めて会うたかな。
建設会社はころころ変わったんやけど、なぜか自然な流れで岡本っつぁんと一緒に仕事してて、みんなで作った匠弘堂に自然と入社することになったんやったなぁ。
今もこうして創業時から変わらんと匠弘堂におんのも、岡本っつぁんとの出会いがあったからやな。振り返ってみても、不思議な巡り合わせやったと思うわ。
若者のひたむきに働く姿に喜びを感じる
匠弘堂はとにかく職場の居心地がエエ。居心地がエエと思える職場と仕事に、この歳になるまで携わることができてホンマ幸せやなあと…。
若いモンもよう気がつく奴ばかりで、俺がちょっと重たいモンを持っていると誰かがすぐに手伝いに来てくれるんや。みんなの優しい気遣いにとても助かってる。
最近の子は忍耐がないとか、打たれ弱いとかよう聞くけど、匠弘堂の若い奴らは辛抱強くやっているんが多いな。みんなよう動きよるわ。
ただ、ちょっと真面目過ぎるところがあるさかいに、仕事ばっかりやのうて人間の幅をもっと広げた方がエエかなぁとも感じる。
せやけど、あいつらが宮大工の未来を背負ってると思うと、あんな真剣に働くんはかなり楽しみやな。
匠弘堂創業期の歴史を知る職人が願う、匠弘堂の未来
今と比べて、昔は人がおらんで休みも少のうて大変やった。寝る時間を削って死ぬ物狂いで働いてたなあ。
匠弘堂も20年前の創業期から比べて、若い奴もだいぶ増えてきたし、会社としてもしっかりしてきたなぁと感じるわ。
近い将来、匠弘堂には、宮大工の仕事で「どこにも負けない会社」になってほしいと思うなぁ。「技術的にNo.1」を誇る職人集団や。
それを実現するためにも、やる気のある若い子を着実に育てんのが大事。
よく「北村さん、何歳までこの仕事やるの?」って聞かれて、冗談で「死ぬまでや!」なんて言うんやけど、やっぱりこの歳になると体がついていかんことが増えたわ。
大工辞めて家にいてもやることは無いし(笑)、ワシが宮大工を終えるその時まで、一人でも多くの若い奴を一人前に育て上げることが自分の役目やとホンマに思うわ。
「良い宮大工職人」になるために、若者へ伝えたいこと
宮大工の仕事は、日本の歴史とか文化を後世に残していく仕事や。この仕事に誇りを持つことはもちろんやけど、「やる気」っちゅうのが人一倍必要やなあと思う。
だからこそ、自分の意見や考えをハッキリ言うのがも重要になってきたかな。
職人世界の中で、最初はなかなか自分の意見を言うことはできひんかもしれん。でも、大工を長年やっているワシでも、若い子たちに気付かされることがあるわ。せやさかいにしっかり勉強して知識を蓄えて、「なんでこうするのか」を追求していってほしいな。
そして、「良い宮大工職人」になるには、「良い道具を揃える」こと。
エエ道具を持つという意味とはちゃうんやで。道具は大工にとって自分の手と一緒やから、念入りに手入れをすることが職人の基本っちゅうことや。
「しっかり準備をして仕事に備える」。
当たり前のことかもしれんけど、毎日続けんのはそう簡単なことちゃうで。
せやけど、仕事への熱意っちゅうのは自分の手から道具を通して必ず部材一つひとつに伝わるもんやし。
うちの若い子の中やったら雄介は特に道具への思い入れが強くて、よう手入れしていて…マニアやなアイツ(笑)。アイツの仕事ぶりを見ても、やっぱり丁寧で感心するわ。
ワシの場合は、なりゆきで社寺建築の世界に入ったんやけど、この仕事の魅力は、なんちゅうても「日本の伝統がある限り、続けられること」やな。
「神社やお寺の伝統を守りたい!」と思てくれる若いモンがどんどん増えてくれたら エエよな。
ワシ、いつまで大工を続けられんのかわからんけど、未来の社寺建築を支える若い奴らと一緒に、できる限り一日でも長く現役で大工頑張りたいわ。
今後の意気込み
一日でも長く、現役の宮大工であり続ける!
そして若いモンを一人前の職人に育て上げる!