私、横川がかねてよりお目にかかりたかった筆頭が、こちら佐々木酒造の佐々木晃社長である。
私自身はサラリーマンを経て、異業種に飛び込み、独立起業。初代棟梁である岡本弘の教えに則り、かつ発展もさせながら社寺建築に携わり現在に至る。
そしてまた、過去から受け継いだ技術を、伝統的な社寺建築に施し、これから先の長い未来へとつなげていかねばならない、と常々考えている。
佐々木社長も、代々受け継いでこられた酒造りを行いながら、今のニーズに応じて、魅力的な品をつくり続けていらっしゃる。いっけん、まったく異なるようだが、われわれ両者には〝受け継ぎ 、続け、つなげる〞という共通の使命がある。そう、深く思っている。
引用:佐々木酒造HP
佐々木酒造株式会社
豊臣秀吉が造営した壮大かつ華麗な城郭風の邸宅─「聚楽第」。その名を冠する清酒を醸すのが、1893年(明治26年)創業の佐々木酒造だ。京都の中心である“洛中”の酒蔵として知られ、現在、佐々木晃さんが四代目として蔵を守る。ご存じ、俳優・佐々木蔵之介さんのご実家としても知られ、また“猫社員”のかわいさも注目の的。佐々木酒造京都府京都市上京区北伊勢屋町727
私が継ぐとは思っていませんでした
横川:数年前のことですが、フェイスブックに共通の友人がいることから、思い切って申請させていただきました。今回、対談が実現するとは夢のようです。佐々木酒造さんといえば、その歴史 もさることながら、俳優の佐々木蔵之介さんのご実家であるということも外せません。蔵之介さんは、佐々木さんのお兄さんでいらっしゃる?
佐々木:はい。二番目の兄です。本名は〝秀明〞といいます。私は三兄弟の末っ子で。
横川:となると……ご自分が家業を継ぐとは考えておられなかった?
佐々木:ええ。兄のどちらかがやるもんだと思ってました。でも、上の兄が、下ふたりと違って、小学生のときから飛び抜けて勉強がよくできた。洛星高校から東大に進んだほどです。ですから、父も、長兄のことは「商売人じゃないな。学者的なもんが向いているやろう」と。となれば、次の兄が継ぐという雰囲気で。じゃ、私は継がんでええんやなと。
横川:興味はなかったんですか?
佐々木:当初はとくに。世間には兄弟で取り合っているような景気のいい商売もありますが、酒蔵というのは厳しい商売ですから。むしろ、ちょっとやりたくないな、ぐらいな気持ちでした。兄はふたりとも「自分がせなあかん」とは思っていたでしょうね。それで、二番目の兄は、東京農大に入り、そののち神戸大の農学部に進み、酒米・山田錦の研究を卒論にしていました。
横川:では、当然、継いでくれると……?
佐々木:卒業後は帰ってくると。でも、いったん就職をして。大阪の広告代理店に勤めるんですが、それも実家を考えてのことでした。
横川:広告業が役立つとのお考えで?
佐々木:はい。昔は、「いいお酒をつくれば、みんな買ってくれる」という時代でしたが、昨今は、いいお酒をつくることは当然で、それをいかに知ってもらうかが勝負ですしね。
横川:そのためのマーケティング論を学ぶべく、就職したのに……
佐々木:だったはずです。が、兄の同期入社に、「ますだおかだ」の増田英彦さんがいらして。兄より先に会社を辞めて、東京に行かれたんです。その影響があったのかもしれませんが、しばらくたったら、兄が「俳優になりたい」と言い出した。
横川:増田さんと蔵之介さんがいる会社って、なにやらすごい!蔵之介さんは、大学時代から芝居をやっていらしていて、玄人はだしで人気もあったそうですね。
佐々木:大学の演劇部の先輩が立ち上げた劇団に入り、新入社員のくせに、有給を使って舞台に出ていました。そうした、ある日、「晃、酒屋、やってくれへんか」と言われまして。なので、私は、父親に「やれ、継げ」と言われたのではなく、兄に決められたという。
まさか、機械工具のメーカーにお勤めだったとは!
横川:そのとき、晃さんは大学を卒業して、サラリーマンをやっていらした?
佐々木:「関西日立」という会社で、ドリルとか丸のこなど機械工具を売っていました。
横川:え!それって、大工さんの道具ですよ。なんともすごい共通点がありました。日立さんの道具は頑丈で、とくにモーターがいい。
佐々木:はい、「スライドのこ」ですね。大ヒット商品です。私はルート営業で、機械工具屋さんをまわっていましたが、そこに大工さんもいらして、値切られながらも、いろいろと学ばせてもらいました。おかげさまで、工具屋さんには、いまだに可愛がっていただいてます。
横川:私もそうですが、自分のところだけでなく、外の世界も知っているということが強みだと思います。
佐々木:まさしくです。しかも、自社の製品を実際に使う方々のリアルな声を聞くことができた、というのは大きいです。
横川:すごい情報ですから、現場の声は。
佐々木:ですね。大工さんらはたくさん教えてくださるんですよ。そうして教わったこと……たとえば、取り扱いの良し悪しや改善点などを開発部に伝えるんですが、取り合ってもらえず。忸怩たる思いをしました。今、考えると、新入社員が熱く語ったところで、長年、開発をしてきた先輩にしてみれば、「そんなのわかってるわ」ということだったんでしょうけれどね。
横川:どちらの気持ちもよくわかります。じつは私は、某家電メーカーで設計をしていたんです。同じようなことがやはりありまして。私たちはあくまでも新製品を設計して、次から次へと新製品に携わるんです。でも同じ敷地内の、商品を組み立てる工場から、現場の声が上がってくるんですよ。「ここの部品が組みにくい。この形状をこうしてほしい、ああしてほしい、こうならへん の?」みたいに。今なら、貴重な意見とわかりますが、当時はそう思えず。だって、すでに私らは、次の商品開発をしているんですからね。
佐々木:そんなこと言われても……となりますよね。
横川:はい。もう、それぞれが自分の立場のことばかりで、いつも責め合っていて。そのうち、ここは、なにか違うな、という疑問とともに、なにか違和感を覚えはじめて……
佐々木:そこで、おもしろいことができるような仕事を目指して、宮大工さんを志すんですか?
横川:そこには、もうひとつのターニングポイントがあって。それはまた別の機会に。さて、いよいよ、佐々木さんが酒蔵を継ぐことになるわけですが。
佐々木:サラリーマン時代、自分の理想とする働き方ができなかった。そんなことを父に話していましたら、「お前、うちの酒蔵継いだら、自分の思い通りの酒がつくれるぞ」と言われて。あ、それもおもしろいかな、と。最初は、〝兄が帰ってくるまで〞つないでおこうと思ったんです。しばらくしたら、兄が継ぐだろう、そのとき私は、また違うことをやればいい、って思ってました。
横川:それも不思議ですね。ご兄弟で一緒にやろうとは考えなかった?
佐々木:まったく(笑)。そのとき、私、電気工事をやってみたいなと、資格を取る勉強もしてましたしね。うん、ほんと、ピンチヒッターのつもりでした。なのに、今もずっとやっている。
横川:いいですね、この軽やかさは。力が抜けているというか。小さいときから、そんな感じなんですか?
佐々木:私、ちょっと気楽な部分があるんですよ。上ふたりは神経質で、物事に対してすごく真面目。三人兄弟の末っ子だからですかね。
継ぐこと、続けること、つなげること。
横川:そうして継がれてやって来られて。次の世代のこともお考えに?
佐々木:さすがにもう、兄は帰ってこないと思うので(笑)、次は、私の息子がするのか、上の兄には娘がいますので、家に誰かを迎え入れるのか……誰が継ぐのかはわかりませんが、誰かがや るまで、私には〝やり続ける〞責任があります。
横川:それは、継がねばならぬ、絶やしてはならぬ、というプレッシャーでしょうか。
佐々木:プレッシャーというものではなく、なにごとにおいても「続けていくにはどうしたらいいのか?」を常に考えるクセがついています。あくまでも、佐々木酒造の、いえ、私の第一の目標は「続ける」ことなんです。そのためには、売れないといけない。売り上げがないことには、商売はできませんから。
横川:売れる商品づくり、生み出す力……も大変です。
佐々木:「売れる商品」をつくりたいと思っても、できませんからね。
横川:では、どのようにして?
佐々木:販売店さんに、「今、どんな商品があったら、買ってくれますか」やら、「こんな商品をつくったら、どんだけ売ってくれますか?」と聞いています。
横川:ご自分がつくりたい、ヒットさせたいと思っての開発ではないんですね。
佐々木:ヒアリングやディスカッションは不可欠。そういうふうにして生まれた商品も多いです。「こんなんつくったら売れるかな?」という商品もありましたが、やはり売れない。
横川:なるほど。お得意様のニーズに応じたもの、つまり、現場の声、消費者の声を聴くということですね。
佐々木:これは、サラリーマン時代に学んだことです。そのときは実現できませんでしたが、フィードバックをしっかりすることの大切さを知る、貴重な経験でした。
横川:同じくよい経験でした。そうそう、じつはですね。私の父方の祖父が日本酒にゆかりある仕事だったんです。山口県の萩市出身で、神戸の灘で修業して、全国の酒蔵をまわって、酒蔵の酒質をととのえる仕事、今でいうところのウイスキーのブレンダーのような職に就いたそうです。戦前のことですが。
佐々木:なんだか、ご縁を感じますね。では、次は乾杯の機会を。
横川:〝つなぐ〞使命を持つ者同士として、まいりましょう。